人に伝わる文章とは、論理的な文章のこと……??
人に伝わる文章を書くためにはどうしたら良いのか、ということを考えたことのある人は多いと思います。
私の場合も、どうしても人に論理だてて物事を伝えるということが苦手です。
このブログを書いている理由の一つには、この文章を書く能力を向上させたいという思いがあります。
『論理的に書く』とか、『情報を伝える』、とはどういうことなのかを今回は考えてみたいと思います。
論理的だと人に伝わるのか?
「人に伝わる文章を書く」ということと「論理的に書く」ということはしばしば混同されて用いられるように思います。
論理的に、順序だてて、整理して、丁寧に説明をすれば必ず伝わるから、と色々な人に言われてきました。
果たして、本当にそうでしょうか?
ホモ・サピエンスが現在の地球で支配的な種族になっているのは、物語の共有ができたからだという話があります。
共通認識を皆が持つことで集団を成長させることができ、それがホモ・サピエンスに固有の(あるいは特に優れていた)能力だったため、他の生物種を圧倒出来たのです。
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しかし、私は順序だてて話したり、ストーリーを構築して伝える、といったことに不自由を感じています。(私はホモ・サピエンスではない???笑)
私が考えたことは、物事を伝えるという場合に『論理的』に書くというのは、ストーリーの構築方法としてよくあるパターンだ、というだけなのではないかと思ったのです。
情報が伝わるのはどんなとき?
情報伝達の際に、ホモ・サピエンスはストーリーとして伝えることで情報を共有する、と仮定します。
伝えたい情報には、二つの可能性があります。
- 誰もが理解できる客観的事実
- 丁寧に伝えることで理解される新しい事実
伝えたい内容があまりにも突飛で、誰も信じてもらえないような内容であれば、それは伝達されません。
例を挙げるならば、地動説が初めは誰にも受け入れられなかった、というようなことです。
さて、先ほどの事実のうち、誰もが理解できる客観的事実というのは、多少伝え方がマズくても、きっと伝わります。
聞く方も、話の展開を読めるし、結論を知っているからです。
重要なのは、新事実を伝えるときです。
新事実を伝える場合は、伝える手法が新規の手法であってはいけない、と思われます。
情報の伝達を受ける側から見たとき、
情報がどれだけよく知っていることか? × 伝え方がどれだけ慣れ親しんだものか?
という二つの事項の掛け算によって、受け取った情報を適切に理解するときの難易度が決まってきます。
新規性のある情報を伝えるとき、ホモ・サピエンスはよく慣れ親しんだストーリー仕立てでの伝達をすることによって、情報を共有できるのです。
情報が伝わるパターン
情報が伝わるパターンを整理すると以下のようになると思います。
- 誰もが知る事実を、ストーリー仕立てで伝える
- 誰もが知る事実を、自分勝手に伝える
- 新規情報を、ストーリー仕立てで伝える
といったところでしょうか。
ストーリー仕立てで伝える、という部分の方法の一つに『論理的』に記述する、という私たちがよく慣れ親しんだ手法があるのだと思います。
ストーリー仕立てで伝える手法には、どんなものがあるのか、という疑問はまた次回以降考える宿題にします。
いずれにせよ、新規情報を伝えるためには極めて注意が必要ですが、新規性のない情報に本質的な価値はありませんので、勇気を出して新規情報の伝達に取り組みたいと思います!