推理小説の今後

小説にはさまざまなジャンルがあります。

 

よく、雑誌を見ていると公募情報が掲載されていますが、そこに書かれているのは、「大衆小説」、「恋愛」、「青春」、「エンタメ」、「純文学」、など内容で区分されていることがしばしばです。

 

その中でも私が、異質だなと感じるのが「推理」小説です。

 

推理小説は、犯人の特定や事件の解決が物語の主要な筋になっていることが多いですが、テーマは登場人物の恋愛であったりもするという実にハイブリッドな分野です。

 

推理小説というと、論理的思考力による物語展開を軸にするという技法の制限があるだけで、内容の自由度が極めて高いのだと思います。

 

考察を進めていくと、「推理小説」が内容に縛られずに発展してきたことが理解できましたし、さらには内容に縛られずに発展していくべきだ、と確信をすることができました。

 

推理小説とは何を指してるのか?

探偵小説

推理小説の系譜としてよく言及され、日本でも認知度の高い論調は、まずシャーロック・ホームズの登場があり、探偵小説が始まったという説明です。

 

それから、アガサ・クリスティーによってポアロが生み出され、探偵小説の技法は急速に進歩していったと言われます。

 

推理小説という単語はしばしば、探偵小説と混同する形で用いられており、この説明は非常に納得できるものです。

 

推理小説という言葉の守備範囲の中で、探偵小説という大きな流れが存在していることは確かなことだと思います。

 

犯罪小説

探偵小説は "detective novel" ですが、"crime fiction" (犯罪小説?)という呼び方も海外ではよくされているように思います。

 

例えば、こちらの本は洋書ですが "crime fiction" について歴史が簡単にまとまっていました。

 


 

 

ミステリー小説

日本でよく聞く言い方に、ミステリー小説というものもあります。

 

「このミステリーがすごい」など賞の名前にも使われています。

 

そこで、ミステリー小説、という呼び方も海外で使われるのか調べてみました。

 

調べてみたところ、エラリー・クイーンミステリ・マガジンという、偉大な推理作家エラリー・クイーンの名前を冠した歴史ある雑誌がありました。

 

ミステリー小説、というところまで幅広い呼び方になってくると、作品の中には必ずしも事件や死体はなくても通用するようになってくる感じがします。

 

これまでの推理小説の発展

このように、海外でも日本語と同様に推理小説に該当するジャンルが極めてぼやっとした広い範囲を示していることが分かります。

 

さて、日本の推理小説を考えると、本格・新本格だとか、日常の謎、いやミスといったキーワードが思い浮かびます。

 

重要な作者と作品を整理し、推理小説発展の系譜を学ぶことも面白いとは思うのですが、ここではなぜ、どうして推理小説がこのような発展を遂げてきたのか考えを整理します。

 

新規性のあるものが求められる

小説が価値を持つためには、新規性が必要になります。

 

それはたとえ、物語の筋が同じだとしても登場人物が異なるだけで生じるように思われます(もっとも、作者は大バッシングを受けるかもしれませんが笑)。

 

ただ、もっと独創性が高いものを求めていく動きが、小説のトリックや設定を発展させただけでなく、無数のトリックと登場人物や設定の組合わせを生み出したと考えられます。

 

つまり、トリック×(探偵 / 犯罪 / ミステリー / 恋愛 / 青春 / ...etc.)みたいなことが起こるのではないかと思うのです。

 

売れるものが求められる

小説は芸術でありながら、商業ベースに乗らなければ成功とはみなされないようです。

 

ということは、売れるものが求められるのではないでしょうか?

 

売れる物語を、推理小説に仕立て上げた小説が生み出されたとしても不思議はないように思われます。

 

ここでの私の予想は、純粋な推理小説の系譜ではない物語が、推理小説側に輸入されたという考え方です。

 

これからの推理小説の発展

ここまで考えてみて、新規性とニーズのあるものが求められる、ということはどんなプロダクトであっても同じだなぁ、と思いました。

 

これまでの推理小説で起こってきたことは、マイナーチェンジに過ぎないのではないかと思います。

 

というもの、推理小説は独創性を高めるための解決策として、似通った部分をもつほかの物語を輸入することで凌いできたように思えるからです。

 

ブレイクスルーは、爆発的な技術の進歩によって生み出されたり、思いもよらなかった異分野とのリンクによってもたらされるものです。

 

とすれば、次のブレイクスルーはどのようなものでしょうか。

 

トリックの進歩

一つは爆発的なトリックの進歩があると思います。

 

叙述トリックの導入のような、読者の度肝を抜いて議論を呼ぶような進歩の余地が残されているのかは、非常に興味深いところです。

 

媒体の進歩

デジタルメディアの進歩やテキストデータを送受信するSNS等の進歩によって、媒体が進歩しています。

 

つまり、トリック×設定×媒体、というバリエーションがあるように思われます。

 

一度印刷されたら結末の変わらない書籍という媒体だけでない、選択肢の広がりがあります。

 

媒体が進歩することによって、物語の結末が一定ではない、といったような小説が登場するかもしれません。

 

まとめ

最後は小説の定義にかかわってきそうなところまで、考察が発散してしまったのでこのあたりで止めにしておきます。

 

小説は書籍で出版されて、文字を追うことで味わうもの、という既成概念を取り払えば、限りない可能性があります。

 

そのいくつもの可能性の中で、推理小説と親和性の高いものがあるはずです。

 

最後に、私の好きな小説である連城三紀彦さんの『紅き唇』を思い出したので、おすすめしておきます。

 

推理小説的な技法が用いられていることは確かですが、物語を感動をもって読者に伝えるために、ごく自然に用いられた美しいトリックを持つ小説です。

 

ジャンルに分類できない作品を生み出すことも、小説家としての力量を示す一つの指標かもしれません。