死の谷 Valley of Death? それとも Death Vally?
興味があって調べておきたいこれど、時間が足りないので疑問点だけを羅列しておきます!
知らないことを調べていくと、また知らないことが掘り起こされて……
先日、”ダーウィンの海” について調べました。
その時に、”ダーウィンの海” とセットで解説されていた言葉に、”魔の川” や ”死の谷” といった言葉がありました。
これらは、”ダーウィンの海” と同じく、企業などで行われてる製品開発がヒット商品として売り上げを伸ばすまでの過程にある関門のことを示しているようです。
また、”ダーウィンの海”、”死の谷”、”魔の川” といった言葉は、数十年前のアメリカで言われ始めたことだったという説明も見かけました。
”死の谷” は 'valley of death' の訳語であるわけですが、アメリカには 'Death Valley' も存在しています。
こちらの、'Death Valley' は地名であり、有名な観光地でもあるようです。
デスバレー国立公園として知られているようなのですが、私は知りませんでした……恥ずかし。
アメリカの地理など、知識はほとんどありませんし、そのあたりも調べてみたいなと思いました。
連想していくと……
連想は人間が持つユニークな能力だと思います。
緻密な言語をもって、世界を理解して事物や概念に命名を行っているおかげで、人間は離れた場所にある二つの概念を結びつけます。
連想には大きな個人差があり、ランダムです。
私の場合、”valley of death" と "Death Valley" との関係から連想したのは、"University of Tokyo" と" Kyoto University" の違いでした。
以前誰かから、" University of Tokyo" と" Kyoto University" の違いについて聞いた気がするのですが、忘れてしまったので調べなおしたいと思います。
あ、あと、連想は人間にユニークな能力と言いましたが……いつだったかグーグルの人工知能が夢を見る、といったニュースがあったなと思い出しました。
連想したり、夢を見たり、記憶が喚起されたり、論理性で説明できない思考の一貫性は興味深いなと感じます。
調べたいことのまとめ
今後調べたいことを列挙します。
でも、それらはきっと全部調べることはなくて、興味は移り変わっていくのだと思います。
けれど、それは私のなかの 'ある一貫性’ が判断して取捨選択しているのだろうと思います。
- 魔の川、死の谷とはなにか?
- デスバレー国立公園について
- アメリカの地理について
- University of Tokyo と Kyoto University の表現の違いはなぜなのか?
- 人工知能について
調べたいと感じたときに、調べてみようと思います。
ダーウィンの海
”ダーウィンの海” という言葉があります。
私が初めてその言葉を見たのは、『現代質量分析化学 基礎原理から応用研究まで』(高山光男、早川滋雄、瀧浪欣彦、和田芳直 編)でした。
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序文として、ノーベル賞受賞者の田中耕一博士が執筆をされており、その文中に出てきたのです。
その時は「ふーん」というくらいに思っていたのですが……
先日、吉野彰博士もノーベル賞を受賞された際に、同じく ”ダーウィンの海” について言及なさっていました。
ノーベル賞を受賞する研究者の方が揃って口にした言葉とあっては、気になって仕方ありません。
そこで、 ”ダーウィンの海” について調べ、 "ダーウィンの海" を渡りきるためには '文理融合’ が必要であるということを説明してみようと思います。
"ダーウィンの海" とは製品が売れるまでのギャップ
ダーウィンは言わずと知れたチャールズ・ダーウィンのことです。
ダーウィンの提唱した進化論は、現在いる生物は自然界で競争し、進化によって生き残った種であるという考え方です。
一方、海は地球の生命が始まった場所であり、うごめく大自然の象徴でもあります。
”ダーウィンの海” という言葉は、基礎研究段階→開発段階と進んだ技術が製品化され、それから市場にもまれ、生き残れるかどうか? ということを考える文脈で使われます。
地道な基礎研究の末に製品化にたどり着いた製品が、世界中の競合製品としのぎを削り、淘汰を受けて優れた製品が勝ち残っていく様子を、”ダーウィンの海を越える” と表現するのです。
"ダーウィンの海" を越えるためには……
"ダーウィンの海" を越えるためには、製品が売れない時期も改良を続け、売れ始めるタイミングまで我慢する必要があります。
さらっと一文で書いてしまいましたが、新製品が "ダーウィンの海" を航海する過程で、製品に携わる人々が行っていることは、極めて高度なものです。
新製品が世に出るとき、その製品が革新的であればあるほど、売ることが困難になります。
誰もその価値を正しく評価できないからです。
製品が売れなければ、売れない原因を取り除くために、技術者は製品を改良します。
売れるまでは、この繰り返しです。購買者からの信頼を得ることができるまでは、これが続くのです。
しかも、売れない原因は、売り方にあるのか製品にあるのかも見極めながらこれを行う必要があります。
市場と製品は相互作用しています。
製品を売る人は、その製品を支える技術に無関心ではいられないし、技術者もまたその製品の売り方に無頓着でいてはいけないということです。
製品を売ることを文系的な仕事、製品を作ることを理系的な仕事、と乱暴にくくれば、”ダーウィンの海" を渡るためには '文理融合' が必要である、という要約になるかもしれません。。。汗(本当にとても乱暴ですね)
ブログをやる目的は? 継続するためにはどうすればいい?
「ブログを始めてみようかな?」と考える人は多いと思います。
私も大学一年生の時にブログを始めよう!思い立ちましたが……。
その時は続けられずに辞めてしまいました。
ブログを始めることについて巷でよく言われていることには、以下のようなことがあります。
- ブログをすると、同じ趣味の友人が増える
- ブログから収入を得ることができる
ブログにはメリットが多いことは確かですが、打算的な動機だけでは継続することが難しいのでは?と思います。
そこで、「どうしてブログを書きたいと思うのか?」について整理し、ブログを継続するために心がけるべきこと、を明らかにしたいと思います。
収益を目的にしてもつらいかも……
私が大学一年生の時に作ったのは、自分の趣味で使う道具を紹介するブログでした。
動機はなんだったかと思い返してみると、時間があるし何か始めてみたい、お金がないから何か楽に稼げることをしたい、といったものだったと思います。
自分の趣味だから楽しく続けられるだろうとか、みんなに知って欲しいことを紹介することは社会貢献になるだろう、なんて後付けの理由やメリットもありました。
ただ、根本的にはお金が欲しいな、という気持ちだったと思います。
この動機は長続きするものではなく、私の場合はすぐに辞めてしまいました。
お金に極度に困っていない状況で(バイトもしていましたし)、稼ぐことをモチベーションにできるかどうかは、人それぞれです。
続けられるのは好きだから?
あるとき、ブログを毎日更新しているという大先輩に会うことがありました。
会社社長で自由に時間を使える立場にあるらしいのですが、毎日更新を数年続けている方です。(すごい!)
その方の活動を見て私が考えたのは、
- 実生活でのつながりを大事にしてブログをすれば継続しやすそうだ
- 自分の勉強や技能向上のためにブログをすれば継続しやすそうだ
ということでした。
好きだからやっている趣味のことをブログで書いていたら、ブログの活動もその趣味の一環になっている、みたいな感じでした。
その方にしてみれば、「趣味とブログをやっている」ということではなく、「趣味に二方面から取り組んでいる」という感覚なのでしょう。
あれ、自分って『備忘録』をよく見ているなぁ
私はプログラミングをするのですが、ある時いくつかの『備忘録』的なブログを何度も何度も見て回っていることに気が付きました。
親切な方が自作のコードを公開してくださっているのです。(とても有難いです泣)
私は二つのことに気が付きました。
一つは、『備忘録』のように知識を集積していくことが、とても役に立つということです。
もう一つは、一度見たブログの内容を私が覚えていないということです。つまり、その場しのぎにコードを借用して、自分の知識として身についていないのです。
ここで、以前お会いしたブログの大先輩の、「趣味の一環として取り組む」というスタンスが思い出されました。
自分の取り組みを文章なりポンチ絵なりで出力してまとめておくことは、知識や技術を本当に自分のものにするために、極めて重要なことかもしれないと気が付きました。
伝えたい人に向けて、自分のために書く
いくつかの経験や気づきがあり、私は再びブログをやろうという気持ちになりました。きっかけは、このたびの転居です。
子供時代から親が転勤族だったため転居には慣れていましたが、引っ越しによって会えなくなってしまう人が多いのは、悲しいことです。
そこで、ブログを書くことに決めました。会えない人に読んでもらうためです。
さて、冒頭に問題提起への現時点での私の回答が以下です。
どうしてブログを書きたいと思うのか?
会えない人に自分の取り組みを見ておいて欲しいから。
ブログを継続するために心がけるべきことは?
- 日々の学びを自分のものにするために書くこと
- 日々の生活の一部にしてしまうこと
こんなところかな。ブログを再開するにあたっての、私なりの宣言です。